無料の情報提供は終わった。
今、インターネットの世界は閉じようとしている。
そう思ったことはありませんか?
先月7日、米フェイスブックのCEOは大きな方針転換を決めました。これまでのオープンなプラットフォームから「プライバシー重視のプラットフォーム」へ転換する構想の概要を説明したのです。
かなり前から、LINE、TikTok、Snapchatなど、個人間のやり取りを好む兆候は出ていました。
そして「YouTube」のメンバーシップ、「Instagram」のストーリーズ、「note」の限定記事と、どれも親しい友人もしくは有料会員にしか投稿を見せなかったり、様々な形のファンだけのコミュニティサービスの登場も閉じ行くインターネットの世界を示唆しています。
閉じながらも「関係性によっては」繋がりたいという表現のほうがあっているかもしれません。その閉じたいと思う感覚は、20代以下世代と、30代以上世代で大きく異なるのです。
20代以下世代は、30代以上世代に比べてインターネットとリアルの世界が実にフラットです。そのためインターネットの中だけの知り合いに対して、障壁さえないように見えます。
こんな面白いこと考えたから見てほしい、SNSに投稿しようという流れでしばしば炎上するのは、インターネットとリアルが同じ世界で見えるからで、自分の発言はせいぜい半径数メートルにしか伝わらないだろうという認識なのでしょう。
評論家の 宇野 常寛(@wakusei2nd)氏は、現代のインターネットに危惧を抱いています(宇野氏は元サブカルの2次元から政治を読んだり考えたり幅のある面白い人です)。
現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっています。フェイクニュース、陰謀論、そして無数の「炎上」。ネットサーフィンという言葉が機能し、インターネットが万人に対しての知の大海として開かれる可能性は、つい最近まで信じられていたはずですが、もはやそれは遠い遠い過去のような錯覚を私たちに覚えさせます。
「無料空間に誰でも情報発信できるようになったことは、人々を逆に考える能力を減らした」のです。
情報を正しく受け取ることができない人、見極めることができない人が多くなっている今、誰も彼もが、閲覧することができない、発信することができない閉鎖的な場所が、オンラインサロンとして必要な場所になってくるのではないかと考えています。
今後のオンラインサロンは、学校のような存在になるのではないでしょうか。
「閉じたいけれど繋がりたい」は「繋がる人を選びたい」と同類で、先生、クラスメイトを自分で選択できる、自分の居場所を作ることができれば、リアルな世界がもっと生きやすくなるはずです。
閉じ行く分、実は近くなっているのです。
文:森下 えみ
編集:高橋 大希ち